hogehoge hoge

 

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1969-1989    
   



 

2.6

長崎県長崎市で誕生。

朝6時40分に生まれた福山家の次男。
出生時の体重は4000g強の巨大児

生まれた日は朝から雪が降っていた。

家族構成:父・母・1歳年上の兄

 

   

4.~

 

 

宝珠幼稚園に入学

・卒園文集に「からてのせんしゅになるんだ」と書いている

・井川さんという女の子に「福山くん、一緒に帰ろう?」と 井川さんという女の子に誘われたら、驚きのあまり言葉を失ってしまい、大泣きしながら帰宅。 男兄弟だから、女の子に対して免疫がなかったという。

・豆腐屋の女の子に初恋。色が白くて、お人形さんみたいな感じでした。
 

   

4.~

長崎市立稲佐小学校に入学
・「太陽にほえろ」を見て、「将来は刑事になりたい」という。

   

小学4年生の時に地元のソフトボールチーム「グローリー」に入団、エースピッチャーとして活躍
   

福山ボイコット事件 ・モスクワオリンピックを日本やアメリカがボイコットした話をオトンが熱く語ったことがきっかけで、「ボイコットはカッコいい」と思ってしまい、次の日、同級生のTくんとともに体育の授業をサボって、暗い教壇の中で眠りに落ちて大騒ぎに。みんなの前でオカンに往復ピンタを食らう。 小学5、6年から毎朝5時に起きて、100軒ほど新聞配達をしていた。
   

小学6年生のときに「オレんち寄って、酒飲んでいけよ」と友人を誘い、「ウイスキーの牛乳割り」を薦めた。 水泳教室にも通っていた。
初めてバレンタインのチョコレートをもらった。
   

4.~

長崎市立淵中学校に入学。 当時実家が増築され、子供部屋ができて「もしブラスバンドに入ってくれたら、新しくできた部屋をお前にやる。」とパーカッション担当の兄に誘われてブラスバンド部に入部。ホルンを始める。 近所に住んでいたザ・モッズのコピー演奏をしている年上の友達の影響で、知り合いから3000円でギターを買って練習を始める。
   

クラスの友達や小学校のときの同級生とバンド「BURST ROCKERS」を結成 兄とLARというバンドを組み、兄はドラム、福山はギターを担当。


2.18

長崎市内のライブハウスで初ライブ開催。セックスアピール、ザ・モッズ、ARBなどのコピー曲を演奏する。
   

それまでリーゼントだった髪型が突然のごとく丸坊主に!クラス担任の先生がバリカンで制裁した。


10.~

初デートで長崎のおくんち祭りに行き、ハート形のペンダントをプレゼントする

   

3.~

卒業式の前日、新しくなった学校の体育館で友人たちと組んだバンドの最初で最後のライブを行った。ザ・モッズやキャロルのコピー演奏を披露、観客は400人程度。

4.~

長崎県立工業高校・情報技術科に入学。クラブは英語部に所属。
通学する女生徒の間では「バス停のキミ」「名も知れぬ君」と呼ばれ、2年生の時に近くの女子高でファンクラブができるほどだった。


高校時代、バンドを組んでいた福山さんは、当時付き合っていた彼女に、 コンサートチケットのノルマのうち、10枚くらいをお願いしていたんだと言います。 「大丈夫だよ!友達が買ってくれるから!」と言っていた彼女でしたが、 実は全部立て替えてくれていて、友達にはタダで配っていたということを 友達経由で知ってしまったんだそう。
   

4.~

高校卒業後、地元の電気関係の会社に就職。 電機メーカーの営業職 家から徒歩5分と近く、学科試験がないという単純な理由で営業マンとして働く。


8.31


ミュージシャンの夢を諦めきれず、退職。 辞表の書き方がわからず、長崎駅前の本屋で「冠婚葬祭のマナー」の本を立ち読みして書いた。


9.~

20万円でバイクを売り、夕暮れの長崎駅4番ホーム、16時50分長崎発 東京行きの寝台特急「ブルートレイン・さくら」で上京。長崎駅に見送りに来たのは高校時代の友達二人と当時付き合っていた彼女。
 


 東京に到着した福山は、同じ誕生日で同じ血液型、そして3年間同じクラスだった同級生が住む拝島にある家に転がり込む 新宿のピザ宅配店「CHICAGO」でアルバイトをしたら、「キミの雰囲気って、この店の雰囲気に合わないんだよね。」と言われ、3ヶ月でバイトをクビになった。次のバイト先は運送屋で、鉄パイプを持って足場を組む仕事だったが、次の週からお金を払ってもらえず...結局働いた分の賃金を手に入れたが、早々に運送屋のバイトを見切りをつけた。 当時は 昭島市緑町に在住し、福生の横田基地の近くにある材木屋に勤めることに。材木屋にはかわいい三人娘がいて、親分からは「どれでも持っていっていいよ」と言われ、お風呂を勧めてくれたり、夕飯の用意をしてくれたりして、東京で初めて触れる暖かさだったと本人が語り、親分の言葉に甘えて、三人娘の誰かと一緒になって、このまま材木屋を継ぐのもいいかなと思っていた。その頃、材木屋で出会った元演歌歌手の「中西さん」の一言により、ようやく「音楽」という原点に戻りつつあった。
 

12.~

「美少女学園」というアイドル番組を見て、「アミューズ10ムービーズオーディション」に応募、書類審査を難なく通過し、面接に進めることになった。面接でビクタースタジオに訪れ、「特技」の欄に「材木担ぎ」と書き、「どういうことなんですか?」と面接官の市毛さんに尋ねられた。面接では泉谷しげるさんの「春夏秋冬」の弾き語りを披露。
   

4.~


「アミューズ10ムービーズオーディション」に合格。 オーディションの結果が届かず、イライラしていた福山は、9万5000円で購入した愛車・ジェミニZZF(55年型)で出かけようとするが、横田基地前の16号線でマフラーが落ちてしまい、仕方なく家に戻る。すると、「すぐに連絡をください」との電報があり、オーディションに合格したことを知る。しかし、年収3万円という条件に愕然とする。 合格後、友人とともに三鷹へ引っ越した。家賃2万9千円のボロボロの木造アパートだった。しかし、引越し先で毎晩イラストの入った「人生の先輩」から夜のお誘いを受けるはめになり、身の危険を感じ、たった10日間の三鷹での生活に別れを告げた。 同じくアミューズに所属するほかの社員とともに、渋谷区にあるアミューズ社員の実家の一部屋を間借りして、新しい生活を始めた。さらに宇田川町の交番のすぐそばにあったカフェバーでバーテンダーのアルバイトをした。バイトを続けながら、体を軟らかくするレッスン、セリフを読むレッスンなどアミューズのレッスンに通っていた。

 上京後初ライブを新宿のライブハウスで行う。 観客はゼロ。事務所側が福山のために企画した実験的なライブだった。
10.~  デビューアルバム「伝言」のレコーディングを行う。
11.~  映画初出演となる「ほんの5g」(松竹系)公開。
   

   のどにポリーブができたため入院、デビューは延期に。
   



 

 
 

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